まったくバスケが好きでもないのにバスケ部に入った話|他人の話を鵜呑みにして失敗し、後悔を繰り返す人たち。

私は中学時代、バスケ部の幽霊部員だった。
理由はシンプルで、別にバスケが好きだったわけじゃないから。

「じゃあ何で入ったんだ?」とツッコミを入れたくなるだろう。私がバスケ部に入った理由は、姉から「男子は運動系の部活に入っていないとバカにされる」というセリフを鵜呑みにしたからだ。

 

しかし中学に入ってみると、文化系・運動系の部員数に偏りがあったようには思えなかったし、ましてや「文化系がバカにされている」場面も見かけなかった。

つまり、私はデマを真に受け、特に興味もなかったバスケ部に入ってしまったのである。

 

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部活の練習は、とにかくしんどいものだった。
部活がないのは木曜日だけで、それ以外は毎日練習。特に土日の練習は長時間にも及ぶし、休憩以外は(夏場であっても)水を飲めない。
そして事あるごとに「声だせ声!」「やる気あるのか!」と怒鳴りたがるコーチや上級生。彼らは大きな声を出していないと死ぬ病気にでもかかっているのだろうか?

 

そういった環境に私は早々とウンザリし始め、夏休みに入る前には既に幽霊部員化していいた。
仮に私がバスケに対しての思い入れが強く、「プロのバスケ選手になりたい!」といった目的意識があったなら、そのための努力は惜しまなかっただろう。
しかし私はバスケが好きなわけでもなく、その技術向上に時間を割くよりも、私は友達の家でゲームしたりカラオケに行ったりしていた方が楽しかった。

 

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「他人の話を真に受けたり、よく考えずにいう通りにした結果、後悔した」という経験、わりとありがちなのではないかと思う。

例えば、「成功するには、必ず一流の大学に行かなければならない」という言葉を信じて、自分の興味や適性ではなく名声に基づいて大学を選んだり。
「タバコを吸うのは大人の証だ」という考え方を持ち、若い時にタバコを吸い始め、その後の健康問題やタバコからの離脱に苦労したり。
「公務員は安定していて、一生安泰だ」という意見に基づいて公務員の道を選ぶも、本当は挑戦的な環境や急速に変化する職場を求めていることを後から自覚し、転職したくなったり。


私は思考停止は悪だと思っている。

 

誰かの意見、もしくは周囲の空気に合わせるのは楽だが、その選択が自分に適切かどうかは分からない。
もちろん、自分の意思で選んだものが常に適切とも限らないが、その時は自分の選択肢を吟味する精度を高めるようにすればいいだけの話だ。一方で他人の意見を鵜呑みにして失敗したとして、そいつの選択精度を高めようと奮闘しても無駄である。そんなことをするくらいなら、始めから自分のパラメーターに努力値を振るべきだろう。

 

もちろん判断に困ったときに他人の意見を参考にするのはいいが、最終的に悩み、決めるのは自分でなくてはならない。
私たちの日常でも、専門家の意見を仰ぐべき場面はいくらでもある。

「この病気に対して手術をするべきかどうか」といった医学的な視点が必要な時もあれば、「何歳までに、どのようにお金を作るべきか」といった金融的な視点が必要な時もある。

その時は専門家に意見をもらうのが正しいが、私はそんな時でも「自分の中に納得感があるかどうか」を常に考えている。
納得感がなく、ただ流れに任せて選択すると、間違えた時にどうしようもなく悔やむのだ。

だからいつも自分で選択肢の検討をし、最終決定するようにしている。