その日の予定を全て自分で決められる毎日って良いと思いませんか?
私はフリーランスのライター・編集者だ。今は主に書籍制作の仕事をしていて、おおよその納期は決まっているが、その日のスケジュールを自分の裁量で決められる余地がある。
その日の気分次第で仕事の内容を決められるし、仕事をする時間、場所も決められる。
具合が悪ければ、休みにもできる。
もちろん、Zoomのミーティングをする日もあるし、クライアントから電話がある日もある。ただし、そういった用事があるのはそんなに多くない。先週だって金曜に2件、ミーティングの予定があったくらいだ。
ミーティングも私の予定が合わなければずらしてもらっているし、当然その逆も有り得る。
それに対して会社員の頃は、自分で自分の時間をコントロールする余地は一切なかった。出社する時間、場所、仕事内容、そして一緒に仕事する人間や客。職場の人間や客を自分の意志で変更できないのは、私にとって苦痛極まりないことだった。
だから私は会社員以外の生き方を模索し、今に至る。
日々のスケジュールを全て自分で決められるようにするために大切な5つの要素
タイトル通りであるけれど、「その日の予定を全て自分で決められる毎日って良いと思いませんか?」と皆様にお尋ねしたいと思う。
私は独立してフリーランスになって後悔したことは一度もないし、会社員に戻りたいと思ったこともない。
こうした「自分で自分のことを決められる日常」を得るために必要なこととして、私は次の5つの要素があると思っている。
- 自分で稼ぐ力
- AI
- 金融
- 言語化
- 健康
順番に見ていこう。
要素1.自分で稼ぐ力
フリーランスとして自分で稼いでいく力が必要だ。
当然、仕事を入れすぎてしまえば、その分だけ自分の使える時間は減るだろう。そのため「自分で仕事を見つけられること」「引き受けた仕事をこなせるようにすること」「自分の時間単価をUPさせること」が必要と考える。
なお、私は一日6時間以上は働かないと決めていて、基本的にその通りに生活している。
要素2.AI
ChatGPTの登場以来、あらゆる業務が効率化されることを期待されている。
これからはよりさまざまなツールが出てくると想定されるので、AIを使いこなし、「自分で稼ぐ力」をさらに高めたり、時間短縮や自動化させたりできるだろう。
要素3.金融
フリーランスは自分で確定申告しなくてはならないし、保険料も全額自己負担。こうしたお金の知識を身に付けるのは必須と言える。
他にも国民年金基金や小規模企業共済のように自分で年金や退職金を用意したり、
ふるさと納税や会計の理解を深めて節税をしたり、
iDeCoやNISAなど資産運用を始めたり、
これだけでWebサイトをいくつも作れそうなほど、金融の知識は幅広い。
要素4.言語化
私は自分の想いを言語化することが重要と考えている。言語化能力はクライアントに自分を知ってもらい、売り込む際にも活用できるし、そもそもこの先自分が何をしたいのか思考を整理するのにも役に立つ。本ブログもそうした役割を持っている。
そして言語化するには、前提として「自分の考えを持つこと」が必要であるため、
・自分で情報を集め、意見を育てる
・それについて言葉に示す
というプロセスをたどることになる。
この話は長くなりそうなので、別の記事でまとめたい。
要素5.健康
当然のことだが、健康でいることは全ての基本になる。
私たちはやりたいことがたくさんあるので、体調を崩したり病気になったりしている暇はない。
また、将来的に要支援・要介護状態にならず、健康寿命を引き延ばすことも目指したい。
100歳になっても、近くのスーパーまで買い物に行けるような歳の取り方をしたいと思っている。
あとは心の平穏も健康では欠かせないので、瞑想やマインドフルネスも取り入れたい。
仮想敵や不適切な行為について
自分にとっての仮想敵や、日々を自分の思い通りにし続けられるために必要なことも考えたい。
これについて、私は仏教の「三毒」という考え方を参考にしたいと思っている。
三毒は、貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)という3つの煩悩(ぼんのう)を指す。これを私なりに解釈して、下記のようにまとめてみた。
貪(とん): 貪は「欲望」と訳される。
楽をしようとして仕事に手を抜いたり人をだましたり、
暴飲暴食をして健康を損ねたりすること。
瞋(じん): 瞋は「怒り」と訳される。
人々は他者や状況に対して怒りや憎しみを抱くことがある。怒りは心を乱し、平和や調和を妨げる要因となる。
痴(ち): 痴は「無知」や「迷い」と訳される。
時に人は保守的で新しいことを考えなしに拒否したり、自分の頭で考えず他人の顔色を伺い自分の意見を曲げて自分をごまかしたりしがちだ。そして「常識」などと言う言葉を用いてろくに考えずに他人の言動を批判することもあるだろう。
そうしたことのないよう、考え続けて答えを出す(ように努める)のが大切、という考え方だ。